視線恐怖症の原因とは?大学を辞めたい悩みを持つ、視線恐怖症の大学生へ

視線恐怖症は、人に理解されにくい病です。視線恐怖症の原因を突き止めるのも、難しいことです。人の視線が異常に気になってしまう、自分の視線が相手に及ぼす影響を気にしてしまう。日常生活に影響が出ます。視線恐怖症で悩む大学生の為に記事を書きました。

人の視線、自分の視線。気になってしまうのは病気かもしれません

今回は、視線恐怖症のことについて書きます。

というのは、管理人自身が過去にこの病気を発症していたかもしれないからです。

私の場合、他者視線恐怖症と脇見恐怖症を併発していたように思います。

しかし当時、そんな病気があることすら知らず、もう只々視線に怯えるだけの生活で、そんな病名を知る余裕はなく、

学校では、視線に怯えて息をするのも辛い日々です。

でも、治す為にはどうすれば良いのか、誰にも話せず、何も出来ず過ぎて行く日々。


視線恐怖症は、今も認知度は低い方であると思います。

理解を得るのもなかなか難しい恐怖症です。

「視線」を気にすることが主な恐怖症ですから、視線を普通に捉えている人には、この恐怖症への理解が難しいと思います。

この恐怖症に理解のない人に相談しても、「はて?」と思われるのが普通です。


私は現在でも、病気の名残が少し残っています。

例えば電車に乗っている時、真向いの席に座っている人が気になって視線のやり場に困る、人混みでの目のやり場に困る、などなどの具合です。

でも恐怖症当時に比べると大分良いと思います。

恐怖症当時は前を向いて歩くことが出来ず、人のいる所では息が苦しい程で、それは改善傾向にある為です。


視線恐怖症について。

大きく言うと、視線に極端な恐怖を覚え、日常生活にも支障が出る恐怖症です。

Wikipediaでは視線恐怖症を更に4つに分類していますが、ここで記載は致しません。

私自身の当時の恐怖症の症状としては

・車に乗っている人からの視線も怖い、にらまれているように感じる

・前を向いて歩けず、視線をどこに向ければ悩む

・黒板を見られない(隣の席や周りの席の人の視線が気になってしまう)→成績が低下

・周りを見たくない為に、目周辺を覆う

どこに視線を持って行けば悩むので、常に目線は変だったと思います。

当時の症状として私に当てはまるのは恐らく、他者視線恐怖症と脇見恐怖症だと思います。

しかも、いつ、何が原因で発症、そのようなことは当時の私には分かりませんでした。

何が原因で発症するか、はっきり分からないようなのですが、当時の私の状態を少し書こうと思います。


私が他者視線恐怖症や脇見恐怖症を発症した当時は、ちょうど思春期真っ只中。

トップページをお読みになるとお分かり頂けると思うのですが、思春期真っ只中の中学~高校時代、私は多くの悩みを抱えて生きていました。特に人間関係の悩みです。

加えて、家庭内も今思うと、非常に問題だらけで、

まず、母親が毒親であること。

父親との関係も、母親は思わしくありませんでした。

夫婦間は冷めきっており、

当時、母親は家の中では「自分が絶対」。

母親に逆らうことは当然許されません。反抗も出来ず、母親に向かって冗談半分でからかうような一言も言えません。

ましてや母親を叩くことなんてもっての外、もちろんそんなこと出来ません。

普通の親子関係ならば、多少親子の間で小競り合いや、言い合いをしても、からかっても、「子供が一方的に親から威圧される」ことはまずありません。

ところが私の家では、威圧されるどころか殺されるのではというくらい。

家の中に完全な母親独裁の独裁国家で、母親に逆らうことは出来ず、

反抗すれば死ぬ、しなければ生きられる。そういう感じです。


当時の私が人間関係で悩んでいても、そんな母親が悩みを聞いてくれるはずもありません。

苦しいけど学校に行くしかありませんでした。

しかも家の中では「イエスマン」でなければいけなくて、感情を押し殺すより他になく、自己の形成にも影響が出ていたと思います。自我の形成と言うべきかもしれません。

そんな中、突然他の人の視線が気になり始めました。

いつ気になり始めたのかは分からず、しかし気が付いた時にはその状態。

以来、学校では黒板を見ることが出来なくなり、前を向いて歩けなくなり、車の中からの視線にも恐怖を感じ、レストランでは視線を気にして挙動不審になり、どこに行っても楽しめなくなってしまいました。遊園地ですら怖いのです。


「視線への恐怖」に一旦囚われてしまうと、なかなかそこから抜け出すのは難しいと同時に、それにしか興味関心が持てなくなり、「視野・思考の狭まり」も著しい状態になります。

当時の私も、視線にしか興味関心が向かなかったと言って差し支えありません。

視線恐怖症や脇見恐怖症を発症する人の特徴として、私の例を挙げると、自身の意見を持てない、自身の中に確固たる考えや意志、気持ち、中心になる考えというものを持っていない、という状態が挙げられるのではと思います。

短く言うと自身の生き方に対する「これ!」という考えが全く皆無の状態です。

私に関して言えば、母親の言いなり、イエスマンとして生きて来たので、自身の意志を持てない状況が病気につながったのかなと思います。


自分の意見や考えを持つことに対しての大きな弊害や障壁のある環境で過ごしてしまうと、「自分の意志を持てない」状態に、意識せずとも陥りやすくなります。

いわゆる「普通」の状態で、環境で過ごす場合このような障壁と出会うというのはまずないでしょうから、「普通」の状態で育ち、更に視線恐怖症などの恐怖症を分からない人から見た場合は、このような問題は本当に理解に苦しむと思います。

私個人の考えですが、「視線恐怖症」という病名が出来上がってしまうくらいに、認知されて来ているということは、それだけ自分の意志や考えを阻害されている人がいるのではないか、と懸念しています。

だとすれば、とても悲しい現実です。


「視線に対する恐怖」にしか興味関心が持てなくなってしまうのも、大きな問題です。

本来、「視線」というのはごく普通のもの、人と人との間で自然に交わされるものですから、生活していてこれらに思考の大半を使ってしまうというのは普通ならありません。

しかし一旦視線恐怖症になってしまうと、生活の全ての中心が「視線」に関するもの、「視線」に対してどう振舞うか、を考えるだけになってしまいます。


これは同時に「視線恐怖症」以外のことを何も考えられなくなる、視野が非常に狭い状態、自分で自分を窮屈にし首を絞めてしまいます。

趣味や一生懸命やっていることへの心持ちもおぼつかなくなり、全ての時間を「視線恐怖症」に費やしてしまいます。

生きた心地がしないとはまさにこれでしょう。


視線恐怖症、脇見恐怖症にはまた、「視線に対する思い込み」というのが常について回ります。

「誰かに見られている」「しかも変な目で見られている」あるいは、「見ているつもりはない」と思っていても過度に相手を意識していて結局見ているなど、自分の判断と思い込みに強く囚われてしまいがちになります。

思い込みというのはなかなか抜けないものであるし、変えて行くのも大変です。

また往々にして、「自分はこういう価値観であるのだから、他の人もみんなきっとそうなのだろう」と思ってしまうものです。

特に自分と他人の境界が薄い人は、こういう傾向が強いと思います。

例え相手は自分をつゆほども気にしていなくても、自分が「相手は私を見ている」と思い込んでしまうものだから、思い込みが体の表面に表れて来て、目つきや態度に自然とそれが出て来ます。

そうすると相手にもそれが伝わって、相手が変な目で見て来る場合もある訳です。

この結果で更に、「ほら、やっぱり相手は私を変に見ているじゃないか」という確信になってしまい、思い込みが「固定観念」となり、揺るがぬものとなり、結果視線恐怖症が悪化するという負の循環にどんどんはまってしまいます。

視線に対する「プラス」の思い込みを持てないので、悪化するとそこから恐怖症の他に精神的な疾患を更に併発する可能性があります。


興味関心、思考の狭まりや、思い込みを直すのには、恐怖症の中心になっているその考えを「そうと決まっている訳じゃないんだよ」と思わせてくれる治療法が必要です。

加えて、どうして病気になったか、過去を見つめて自分を内省する時間も必要でしょう。

精神的な病気の治療には他の人の協力が必要不可欠ですが、恐怖症を治す上で、心を本当の意味で「内省」する為には、努力が必要です。

「誰かに治してもらえる」ということだけに頼っていては、なかなかこの恐怖症は治りません。

心の内省の仕方として必要なものはその人によってそれぞれ違うので、ここでは一概に書けませんが、とにかく今の自分の「視野」を広げる、あとは「良くなりたい」気持が大事です。


この恐怖症に対しては、薬での治療もあります。「誰かに治してもらえる」というのもそうですが、心の全てを他の人が分かってくれる訳ではありません。

話せば分かる領域ではない部分が、心には必ず存在します。

どんなに価値観を共有しても、同じ趣味があっても、その領域だけはどうやっても、他の人とは共有が出来ません。

それが自分と他人との「境界」です。


「共感」「共有」で誰かと繋がるSNSが当たり前のように普及している今、この自分と他人の「境界」に対する考え方も、薄れつつある気がしてなりません。

心を本当の意味で「シェア」するのは不可能です。

「共感」「共有」していれば何でも満足、という考え方はSNSでは良いとしても、「心」の問題としてはそれで良いのか果たして疑問です。

視線恐怖症は、誰かに治してもらえるというだけでなく、心を見つめて、恐怖症に対して「自分はどうしたいのか」ということに焦点を当てるのが、治療の第一歩だと思います。


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