仙台 大学生悩み相談室 ~仙台の大学生のみなさんへ~

サイトをご訪問頂いた仙台の大学生の皆様へ - はじめのご挨拶です

仙台大学生悩み相談室へお越し頂き誠にありがとうございます。管理人の髙橋です。
当サイトでは、仙台在住の大学生の皆様の様々な悩み事に関するご相談をメールで承っております。
Twitterでもご紹介等させて頂いておりますが、仙台市内の大学及び大学関連機関様とは一切関係がなく、髙橋が当サイトにて個人で悩みを聞くボランティアとして行っているものですので、あらかじめご了承頂ければと思います。
また、当サイトでは、悩みを聞かせて頂くのは女子大学生の方に限らせて頂いております。理由は、下記に詳しく書いておりますが、端的に書きますと過去の髙橋のいろいろなことに起因しています。男子大学生の方には大変申し訳ありませんが、何卒よろしくお願い致します。
また、悩みを聞かせて頂くのは仙台在住の大学生の方のみです。それ以外の所にお住まいの大学生の方には大変申し訳ございません。
悩み相談ご希望の方は、「カウンセリングの受け方」をまず一読頂ければと思います。
皆様の悩みを解決出来るよう、尽力致して参ります。

サイトを立ち上げたきっかけ

当サイト管理人がこの仙台大学生悩み相談室を立ち上げたのは、自身が大学生まで、過去に深い悩みを誰にも話せずに抱えていたから、というのが大きな理由です。
中学生・高校・大学生時代と、特に人間関係の非常に苦しい悩みを大学生まで抱え続けながら過ごしていました。

大学生まで誰にも悩みを抱えた日々の始まりは、中学生時代のある日、何もかもがわたしのせいにされ、謂れのないことで友達だった人から突然嫌われてしまったのです。何かをしたという自覚は全くなかったのですが、この状況をとても悩み、なんとか関係修復をしようと試みたのですが、何が原因でそうなったのか全く語ってくれず、それから一年が経つまで教えてはくれませんでした。
誰に悩み相談しても全くダメで、悩みを抱え続け、原因も分からず悩み相談も出来ず一年が経ち、ようやく教えてくれた原因と言うのも、全く身に覚えのないものでした。

中学校時代に突然嫌われたあの日から、原因の分からぬままその人から悪口・陰口を言われ、誰にも悩みを話せずに(悩み相談しようと試みたものの失敗)、大学生まで、悩みを溜め込む日々が続きました。
とにかくわたしのせいで、悩み傷付いているかもしれないと思い、何度か謝ったり、話し合おうとしたのですが全て無視され、悪口・陰口はやがてクラス中に飛散して行きました。悩みましたが、止める術はもうどうにもありませんでした。
クラスの人に毎日蔑まれ、冷たい視線を浴びせられ、変な嫌がらせを受け、悩み続け、だんだん耐えられなくなって行きました。たぶん、俗に言う「いじめ」を受けていたという感じかもしれません。体の暴力こそないものの、精神的な面の暴力、いじめという感じでしょうか。先生に悩み相談しようとしても解決はしませんでした。先生に悩み相談しようとすれば逆に、クラスの人から「告げ口しようとした」などと言われ、解決したくて相談しに行こうとしたのに、さらにいじめがエスカレートしました。学校で悩み相談に乗ってもらうのは危険だと思い、今度は母親に悩み相談してみましたが、悩み相談を全く取り合ってくれないどころか逆に怒鳴られ、「あなたが全部悪い」などと言われました。誰にも悩み相談を聞いてもらえず、誰かに悩み相談しても無駄なんだと思い、心の行き場を完全に失ってしまったわたしは、どんどん悩みを蓄え、大学生まで完全な人間不信が続くほど深く悩み追い詰められて行きました。
悩みを抱えているうちに、人と視線を合わせるのが怖くなり、授業中に黒板を見ることさえ出来なくなって行きました。首の角度は、悩みによる人の目への恐怖心から、机に対して直角になるほどでした。この首の角度だけは直らず、大学生を終えた今でも机に向かってノートを取ったりすると、そうなってしまいます。加えて、悩みのあまり勉強が手に付かず、成績は急降下して行きました。廊下を歩くのが怖くて、下ばかり見て歩いていました。
外に出ても、ますます膨れ上がった悩みのせいか、あらゆる視線、車に乗っている人からの視線さえも怖くて、下を向いて歩いていました。相談しようとすれば逆にいじめがエスカレートするので、学校で悩み相談に乗ってもらうのは危険と思っていましたが、クラスの人から隠れてやっとのことで先生に悩み相談しにも行きました。しかし、無駄でした。先生に悩み相談しても、完全に無視されました。先生も信用ならない存在となり、ますます悩みは深まるばかりでした。
誰にも悩み相談出来ない状態で、悩みの中、自分に向けられた悪口・陰口を聞いているうちに、悩みを溜め込むうちに、悩みに汚染され心からいろんなものが失われて行きました。嬉しい、楽しい、悲しい、あらゆる感情が悩みに侵され無くなって行きました。悩み傷付き過ぎたので、悩み相談という手段を使わないでせめてこれ以上悩み傷付かないように、感情を無くして過ごすしかなかったのだと思います。
悩み過ぎてある日母親に、「精神科に行きたい」と話してみても、全く取り合ってもらえず、「母親に相談しても、無駄に終わるだけなんだ」とこの時ようやく確信し、母親を心の底から嫌いになりました。悩み相談しても逆に怒るような人は親じゃない、そう感じました。人間不信は加速し、どんどん悩みが蓄積し、その後大学生まで、ありとあらゆる自分が無くなって行きました。

ですから、中学生時代は、悩み苦しみ、その後大学生まで続く、人間不信になるための期間だったと言っても過言ではありません。それ以外の記憶は、すっぽり抜け落ちていて、どんなものを見て、どんなふうに感じたか、どんな勉強をしたのかも、大学生になる以前までのことは、悩み以外全く覚えていません。大学生になる以前まで、悩みの記憶以外は一切ありません。後々他の人に悩みを相談出来るようになって、そして大学生を終えた現在でも、全く何も思い出せません。周りを見渡せば、学校も、親も、味方してくれる人は誰もいませんでした。覚えているのはそれだけです。
ですので、誰にも悩み相談出来ないまま、完全に人間不信の状態で、知識や期待の代わりに沢山の不安と悩みを抱えて高校に入学しました。
悩み過ぎたため、高校では友達を作らないと決め、一人ぼっちで過ごしていました。悩みのせいで顔は歪み、人への恐怖心で悩み相談なんてもっての外、人とまともに視線を合わせることが出来ず、他の人からすれば変な奴と思われたのでしょう。
高校に入っても、環境は悩みを溜め込む中学生時代とあまり変わりませんでした。日々悩みをどんどん溜め込み、悪口・陰口を言われ蔑まれ、嘲笑の的となっていました。人間不信で人がただただ怖くて、誰かに悩み相談することはもはや不可能でした。人なんてとても信用出来ませんでした。
休み時間と、お弁当を食べる時間は、誰にも見つからないような場所を選んで過ごしていました。人の目につかない所にいないと、膨れ上がった悩みに潰され壊れてしまいそうだったからです。悩みは日々どんどん蓄積され、自分自身が消えてなくなってしまえたら…と、大学生まで何度悩み思ったか分かりません。家に帰っても悩み相談に乗ってくれる相手はいないし、さらに両親の不仲でまた精神的に乱されて、悩み苦しみに耐えられず、切腹しようと包丁を持ち出したところを、包丁を持った手を母親に押さえ付けられて切腹出来ませんでした。この時だけ止めに入ってきた母親がますます嫌いになりました。

日々どんどん悩みを溜め、勉強なんて、まして大学生になるなんてもっての外だったのですが、高校三年生に上がる直前になって、母親から「大学受験コースのクラスに行け、大学生になれ」と、突然何の話し合いもなくいきなり言われてしまいました。悩みを抱え過ぎて、そんな状態で勉強なんて全く出来なかったし、大学生になる気もなかったのに、ある日突然、母親の独断と偏見だけで、無理矢理大学生になるための大学受験コースのクラスへ行かされることになってしまいました。
母親はおそらく、わたしの悩みなんかどうでも良くて、子供の悩み相談に乗るよりも、自分を「大学生になった優秀な子供の母親」であることを周囲に誇示する方が大切だったんだと思います。悩みに押し潰され急降下した成績もどうでも良くて、ただ「大学受験をさせる、子供は”大学生”である」というブランドを持つ。子供の気持ちは踏みにじり、自分の思い通りにする。大学生にさせる。それに尽きたのだと思います。
クラスを転入する際テストを受ける決まりだったですが、抱え込んだ悩みのあまり、勉強が全く手に付かなかったので、大学生を志望する人のための大学受験クラスのテストですから、大学生になれるほど学力のないわたしのテスト結果は、当然ボロボロだったはずでした。なのに、先生方のいらない計らいと母親間との相談があったのか、悩みで勉強なんてもっての外だったのに、大学生になるための大学受験コースのクラスに行かざるを得なくなってしまいました。望まないのに大学生になる…また一つ、相談出来ずに悩みを抱えることになってしまいました。
大学生になるための大学受験コースのクラスへ転入になり、大学生に絶対なれないほどの学力の低さ加減が一層顕著になりました。相談不可能な悩みを溜め込むあまり、一年生でやった内容すらも分からないほどで、とても大学生になれるようなレベルでなかったので(それ以前に中学校レベルも出来なかった)、行くかどうか悩みましたが、仕方なく大学生になれるような学力を付けるため、入塾するのが遅過ぎたので先生方と相談の上、予備校に通い猛勉強をして、なんとか仙台で大学に合格し、無事大学生になりました。大学生になることさえ不可能になっていたら、どうなっていたことか、あの母親ですから、もっと酷い仕打ちをして来たかも知れません。

大学生になってからは、反抗期に入ったのもあってか、悩み、苦しい状態で生きているのに何も相談に乗ってくれず、助けてくれなかった親、特に母親が憎くてたまらず、大学生だから一人暮らししたいと言っても許可を貰えなかったので、ますます母親に憎悪を感じていました。一日一回、あるいは一秒でさえも顔を合わせるという機会を作りたくなくて、大学生の時はアルバイトを始め、それから大学の講義やサークルに行って大学生生活を忙しく過ごし、毎日朝から晩まで外で過ごして、大学生生活中は親の活動時間家に帰らないようにしていました。大学生生活で、もはやそれが一番の悩みの種になっていました。
もちろん、大学生になっても人への恐怖と今までの深い悩みは誰にも相談不可能なままでした。しかし大学生ですから、少しでも視線を合わせて話せるようになるくらいにはならなければと思い悩み、大学生の時に人との対面を絶対に避けられない接客業のアルバイトを始めることに決め、抱えるばかりの苦しい自分の体に鞭を打って、大学生になって出てきた新たな悩みがどんどん溜まって行く中、無理矢理な大学生生活の毎日を過ごしていました。

大学生で始めたアルバイト先では、訳の分からない理不尽を沢山経験し悩みました。特に、上の立場から指導するはずである、上司のことで悩みました。もちろんアルバイト先の誰にも悩み相談することは不可能でした。
平気で営業開店時間五分前になるまで店にやって来なくて、上司が来るまで店には入れない決まりだったので、外で不安と悩みの中待っていたのですが、全く謝りの言葉はなく、オープン業務、例えば掃除をしたり食材の準備をしない状態のまま店を開けたり、逆に怒鳴られ怒られたり、何もしていないのに悪口を聞こえるように言われたりして、とても悩みました。中には優しい人もいましたが、わたしが大学生でアルバイトを始めてすぐに辞めてしまいました。
生きる上でこのような悩みや理不尽は経験するかもしれませんが、相談不可能・まして人間不信の状態で、これは尋常ではないくらい、大学生当時精神的に苦しいものでした。大学生の時は、大学生までに溜まった沢山の悩みのせいで、世界が濁って見えるようになっていました。
ここでも感情を無くすよう徹していましたが、大学生で始めた接客業アルバイトで、休みなく人と接さなければならなかったため、大学生の時には悩みが相談出来ない状態でも、表面上だけの笑顔を作れるようにはなりました。心は悩み泣いていても、顔だけは笑顔の大学生でした。

大学生の時に無理矢理接客業でアルバイトをし、悩みの中でも笑顔を作って人と接さなければならなかったので、その大学生生活の日々の訓練?の成果から、外では表面上だけの笑顔を作れるようになり、例え悩みで心の状態が悩みで荒れていようが泣いていようが、顔だけは笑顔の大学生でした。
そのため、大学サークル内の大学生メンバーとは割と仲良く出来るようになって行きました。
しかし大学生までのことや、悩みや当時の状態を、大学生メンバーの誰にも話しはしませんでした。同じ大学生の彼らに悩み相談したところで、人なんて、例え同級生の大学生であっても信用出来なかったからです。そんな気持ちでとてもメンバーの誰かに相談なんて、とても不可能でした。もちろん、大学生メンバーへの態度も、大学生の時のアルバイトで培った表面上だけの愛想良さ、だったのですが。
でも悩みの中、そんなこんなで唯一サークルの大学生メンバーとは上手くやっていたので、表面上だけではあるけれど大学生になって初めて、誰にも悩みは相談出来ないけれど楽になれる心の行き場と言うか、日々の大学生生活や、大学生まで溜め込んだ悩みを緩和できる居場所が出来たような気がしました。
そこで知り合った同期大学生の男の子とも仲良くなり、よく大学生での勉強を手伝ってもらったりしていました。大学生の時のアルバイトの成果?で、例え表面上だけだったとしても、人とどんな風に接したら良いのか分かっていたので、大学生の彼にも、表面上だけでも嫌われないように接していました。もちろん大学生になる以前のことを打ち明けたりすることは出来ませんでした。
気が付けば、二人でいる時間が長くなって行きました。一緒にいる時も、人間不信だったので悩み相談なんて出来ないし、溜め込んだ悩みで潰れそうでしたが、そうした溜め込んだ悩みや不安を見せないように、表面上だけで大学生の彼に尽くすように接するしかありませんでした。
そうやって、日々膨れ上がった悩みを隠して過ごしていた大学生のある日。大学生の彼に裏切られていたことが分かりました。
大学生になって、表面上の笑顔と、表面上の愛想良さの鎧を通してしか人と接することは出来ませんでしたが、悩みは日々大学生生活で蓄積される中でも直感だけは剥き出しと言うか、大学生の時から直感だけでいろいろな状況を把握していました。ですから、本当に悲しかったです。
ここまで男の人に尽くすなんて大学生のあの時が生まれて初めてだっただけに、物凄くショックでした。大学生生活の中で一番ショックな出来事で、大学生になるまでの記憶はほとんどないのに、そのことだけは大学生を終えた今も忘れられずにいます。
大学生だったあの日、悩みが一気に膨れ上がりました。大学生まで蓄積した悩みと、そしてその大学生の彼に裏切られた悩みで、世界が真っ黒く見えました。この出来事はそれこそ誰にも悩み相談不可能でした。

それから間もなくして、悩みでますます苦しんだ大学生のあの日、東日本大震災が起こってしまいました。
大学生の彼に裏切られたと分かった時の暗く重たい大きな悩み苦しみ悲しみを溜め込んだ結果、あの大地震を引き起こしてしまったような気がしてなりません。
大学生の時の悩みと悲しみにくれた日々と、大地震が起きた期間があまりにも同じタイミング過ぎて、仙台での地震の規模もあの大学生の時に溜め込んだ、悩みと悲しみの大きさに匹敵するものだったからです。
大学生の時起こったあの震災の記憶は、今でも鮮明です。物資が無くなり、ライフラインが止まり、福島原発がメルトダウンした夜のあの異様な重たい空気は、大学生を終えた今でも忘れられません。恐怖でした。
そして、直感は当たり、震災からあまり日数も経っていない大学生のある日、大学生の彼に態度でしっかりと裏切られました。
今まで尽くしてきた大学生生活のあの日々は何だったのだろうか、大学生になってからも人間不信でしたが、もう何もかも全てが信じられなくなり、大学生の時に押さえ付けてきた悩み苦しみ不安悲しみ、大学生になるまでに誰にも相談出来なかった悩み、蓄積された全ての感情が大爆発して1人部屋で大泣きしました。たまたま家に誰もいない日でしたから、大学生まで誰にも悩み相談出来なかった分まで、朝から晩まで大泣きました。
どんどん悩みを抱えるようになってから、大学生になるまで悲しくても涙は出なかったのですが、大学生になってからのあの日は違いました。今まで溜め込んだ悩みが爆発し、大学生なのに年甲斐もなく涙が止まりませんでした。大学生まで悩み相談出来なかった分まで、誰に慰められる訳でもありませんでしたが、すがる相手もいなかったけど子供のように泣きじゃくりました。

大学生の時から住んでいる仙台市内の街は、震災後の復興が割と早く済みましたが、心は、悩みが爆発して大泣きした日を境に、全部空っぽになっていました。あらゆる感情が無くなり、心が停止して全く動きませんでした。溜め込んだ悩み一色に完全に染まっていました。暇さえあれば、大学生生活をほっぽいて死に場所を探しに出掛けていました。死ぬ時は誰にも相談せずに…という、まさにそんな感じでした。
しかし、死に場所に行っても死ねず、また大学生生活をほっぽいて死に場所を探しに行き、また戻り、「死にたい」と悩み、また行き…のおよそ大学生とは思えない生活がしばらく続きました。同期大学生の誰にも悩み相談しないでそのような行動に出ていたため、他の大学生の人からは変に思われていたかもしれません。

そんな大学生のある日でした。
仙台在住の大学生向けの、震災の復興支援の大学生ボランティアに参加する機会がありました。「死にたい」悩みの気持ちはあったのですが、大学生の時に震災で津波の甚大な被害を受けた場所へ行った時、あの凄まじい、言葉にどう表現したら良いのか分からない光景に絶句してしまい、大学生のうちに何か自分もしなければならないと悩み思っていた矢先、大学生ボランティアに行かないかと、サークルの大学生メンバーに相談を持ち掛けられたので、迷わず参加しました。
大学生ボランティアで行った場所も、凄まじい光景が広がっていました。船が道路上にあったり、車が田んぼに突き刺さっていたり、集合住宅の窓ガラスはすべて割れ、辺りは原形を留めない様々な物で溢れかえっていました。それに群がる、カラスの群れ…大学生の時に、誰にも相談しないで溜め込んだ悩みの中で見ていた世界の光景が、現実になったように感じました。 津波の被害に遭われた街の惨状は、凄まじいものでした。
しかし、震災の甚大な被害を受けていても、街の人々の顔は笑顔で溢れていました。それも、悩みと希望のない笑顔ではなく、心の底からの笑顔でした。
大学生になって始めたアルバイト先で培った心のこもらない、表面上だけの笑顔が顔に貼り付き、どんどん悩みを抱え込んでいた、大学生の時のわたしにとって、それはとても衝撃的な光景でした。

震災の甚大な被害を受け、まるで地獄のような光景の街に身を置きながら、生活面の悩み、これから先の悩みや相談したいことも山ほどあるはずなのに、それでもなお笑顔でいる人々…。
生きるか、死ぬかの瀬戸際を経験なされたはずなのに、悩みのない心の底からの笑顔でいる街の方々を見ていたら、大学生になってまで、抱え込んだ悩みに浸る、自身がなんだかとっても馬鹿らしくなってしまいました。
表面上の笑顔しか作れず、日々悩みを抱え込み、自ら死にたいと思って死に場所を探し大学生生活を放っぽいている自分。「死にたい」と悩み思っているのに、結局死ねていないし、大学生生活一体何をやっているんだろうと思いました。そして、大学生まで誰にも悩みを相談出来ず、どんどん蓄積した悩みに潰され”人間不信だから…”という考え方しか出来ませんでしたが、この街の方々のように、例え大学生まで抱え込んだ悩みがあっても、これからの大学生生活を心の底からの笑顔で生きてみたいという思いに変化して行きました。

大学生の時の震災の影響で、大学生の時の悩みの種であるアルバイト先もしばらくお店を開けない状態にありましたが、大学生の時から住んでいる仙台市内の街の震災からの復興が早く、やがて悩みの種が開店するようになってしまったので、だんだんと大学生ボランティアに行く機会は減ってしまいました。それでも、大学生ボランティアの時に思った、大学生まで抱え込んだ悩みがあっても「心の底から笑顔で生きてみたい」という気持ちは、大学生ボランティアに行けなくなってもずっと変わっていませんでした。
大学生まで、嫌なことや悩みが相談出来ずどんどん蓄積される状態にありましたが、大学生ボランティアの時に思った気持ちだけは変わらず、それだけで大学生まで溜め込んだ悩みや嫌なことが、徐々に減って行くような気がしました。過去の心の傷や悩みは大学生当時でも残っていましたが、大学生ボランティアの後からは前を向いて生きるように努力しました。
大学生後半から、だんだんと認めてくれたり、受け入れてくれる方が増えて行きました。悩み相談を聞いてくれる人もいました。大学生の時も母親は相変わらずでしたが、認められなくても周囲の方々は悩みを含めて認めて下さったので、母親に関する悩みも、相談を聞いて下さる方々に、いろいろ悩み相談出来るようになってから軽く受け流せるようになりました。大学生の後半になって、認めてくれる方や、周りの人のお陰で大学生まで抱え込んだ悩みの泥沼から、だんだん解放されて行きました。人間不信も、大学生後半のこの時期からようやく改善されて行きました。
大学生を終えた今、振り返って思うと、はっきり言ってあの人は「毒親」だと思います。大学生までは愛情に飢えていたのか寂しい気持ちと、相手にしてくれない、普通の話をしても気持ちが届かない悩みが必ず心のどこかにあったのですが、今は大学生の後半に出会った周りの人々が大学生まで溜め込んだ悩みの相談に乗って下さったり、その方々の優しさや支えで、大学生後半以降、大学生を終えた現在も心は十分満たされていると思います。ですから、大学生後半から、親の愛情に飢える苦しみや悩みを抱えることはなくなりました。反抗期も大学生でたぶん通り過ぎた?と思います。憎い母親ですが、大学生後半以降、今まで同様娘なんてどうでもいい母親ではありましたが、彼女を恨む気持ちは、とても少なくなりました。 大学生後半から以前よりも視野が大きく広がり、好きなものも沢山増えるようになって、相談を聞いて下さる方々のお陰で大学生まで溜め込んでいた悩みから抜け出して、大学生になるまでと比べるととても充実して生きることが出来るようになりました。大学生まで続いた人間不信の悩み、人を信用出来ないから状態から、ようやく解放されました。 大学生の時には悩みを抱え込んで濁って見えた世界も、大学生を終えた今現在は沢山の素敵な色で鮮やかに見えています。

ところで、大学生まで人間関係の悩みを抱えていましたが、いじめの悩みや、蔑まれて悩み苦しんでいる人への共感はあったので、上辺だけの友達という形ではありましたが、相談があれば悩み相談のようなことを高校生時代に行っていました。もちろん、悩み相談の時以外は1人ぼっちで悩みの毎日を過ごしていましたが…。
大学生になってからは、わざと自ら忙しくして毎日を過ごしていたので、そういった悩み相談を行う十分な時間を取ることは出来ませんでしたが、悩みに共感できる同じ大学の大学生の人からの悩み相談であれば立ち話程度ではありますが、大学生生活に関する悩み等の相談に乗ったりしていました。
しかし、悩みを抱えても「心の底から笑顔で生きてみたい」と思ったあの大学生ボランティアの日を境に、その後の大学生生活でいろいろなことを悩みながらも精一杯で取り組むようになってから、大学生後半になり、認めてくれる人々に囲まれ、次第に大学生まで溜め込んでいた悩みを相談出来るようにもなり、心が充実している状態になってみて、人の悩み相談を聞くことの大切さを感じ、改めて「今度は今までのような上辺だけの悩み相談をするのではなくて、親身になって大学生の方の悩み相談を聞いてみたい」という気持ちが芽生えるようになりました。

そして、無事に大学生を終えて、こうして現在に至ります。当仙台大学生悩み相談室管理人が大学生の方の悩み相談を行っているのには、こういった経緯がありました。ちなみに現在仙台の大学の研究生ですが、大学生を経てそのまま研究者として大学の研究に携わっていくと思います。
そして、同じ仙台市内の大学に通う大学生の方で、様々な悩みを抱えている大学生の方の悩み相談をお受けしたいと思い、当仙台大学生悩み相談室を開設しました。
いじめや、大学生まで続いた悩みによる心の傷というのは今でも残ったままです。
ですから、悩みを抱える仙台の大学生の方々に少しでも、心に受けた傷を当仙台大学生悩み相談室にて悩み相談で楽にして大学生生活を送って頂きたい、大学生の方々に悩みを緩和して頂きたいという思いがあります。
仙台市内の大学に通う悩みを持った大学生の方であれば、当仙台大学生悩み相談室ではどなたでも悩み相談をお受け致します。大学生生活での悩み相談であれば、どんなものでもお受け致します。うつに関することも承っております。
ただし、仙台大学生悩み相談室で受け付ける悩み相談は、悩みを抱える仙台の女子大学生の方の相談に限らせて頂きます。過去に大学生で同学年だった男の子から受けた傷により、大学生の時に深く悩み、現在でも大学生の時の悩みを抱えた影響か心を開ける男性以外には、男性不信になっている所があるため、悩み相談の際きちんと男子大学生さんの悩み相談の対応が出来ないかもしれないというのが大きな理由です。
それから、悩み相談に関しまして、仙台以外にお住まいの大学生の方の悩み相談も当仙台大学生悩み相談室ではお受け出来ません。仙台の男子大学生の方や、先の注意点に該当される大学生の方には申し訳ございませんが、悩み相談をご遠慮頂きますよう宜しくお願い申し上げます。
当仙台大学生悩み相談室では大学生の方とメールにて悩み相談を伺っております。悩み相談以外のメール、悩み相談でないメール(例えばダイエット等に関する相談など)等はご遠慮頂きますようお願い申し上げます。
仙台在住の大学生の皆様の様々な悩み相談を、親身になって解決出来るように努力致しますので、どうぞお気軽に、仙台の大学生の皆様、当仙台大学生悩み相談室まで悩み相談にお越し下さい。

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